それを認めると人に会うのが楽になる

幸せになれる考え方

こんにちは~

人は知らず知らずに見栄を張る性分なんでしょうか。

そんな性分とっくの昔に捨てたわ!

と思っていた私。

全く捨てられていなかったことに気づかされました。

昨日の夕食で葛藤

昨日は娘とその彼が、夕食を食べにくるということで異常に気が張ってしまった。

メニューは手巻き寿司と決めていたものの

どのお店で寿司ネタを買うか?で悩んだ。

ネタを買った後も、この量で足りるだろうかと不安になる。

この裏には、理由がある。

以前に娘が今回のように夕飯を彼のお家でごちそうになった時に

出前のお寿司をいただいたということを聞いていたからだ。

わが家に彼がごはんを食べに来たのは過去に2回。

1回目は、ホットプレートで手作り餃子。

2回目は、お昼だったので手作りサンドイッチを振舞った。

いずれも巷で言うB級グルメに値するメニューである。

その後に、あちらでお寿司をいただいたという娘の報告に、背筋がピンとなってしまった。

こっちの家はセコイな(~_~;)

決して彼はそんな人間ではないのです。

ただ私の妄想の中の彼がそう言うのです。

そして、あれこれ悩みます。

いっそ彼のお家と同じように寿司を取れば解決しそうではないですか。

だけどここにも葛藤が・・・

  1. 一生のお付き合いになるのに、高級接待してたら続かないぞ
  2. 同じことするのは芸がなさすぎる

1はセコイ私、2は見栄っ張りの私。

ふたりの私が出てきて頭の中で言い争う。

結果は、1の私が勝って手作りに徹したわけだが、その中でも上級の手巻きずしにしたところは、しっかり2の私の意見も反映されている。

夕方6時に娘と彼氏がやってきた。

入ってくる成りテーブルを見て娘が

ごちそうや~ン\(◎o◎)/!と喜ぶ

良かった、一応ごちそうに見えているんだね。なんてわけのわからん安堵。

食べ終わって、その量が十分であったことがわかって安心した。

おなか一杯になって帰っていくふたりを見送り思ったのは、

こんな感じでは自分やっていかれへんよ~ってこと。

こんな時こそ、

あなたはあなた、私は私・・・ゲシュタルトの祈り

この言葉を実践でしょう。

見栄・・・ではなく、愛情を込めた料理を追求したほうがええで~

わが家にはそんな高級なことができないんだからさ。

自分たちにできることは、こんな程度です。

これがまさに裸の付き合いっていうものだ。

将来親せきになる可能性が高い彼だからこそ、自分の着ている見栄の衣は、少しづつ剥いでいく必要があると思わされる夕食でした。

おしゃれな友達とのランチに何を着ていくか

先日ファミレスでおしゃべりをした友達は、とてもおしゃれ。

自分に似合う洋服がわかってるんでしょうね、いつも素敵な着こなしで清潔感もバッチリ。

そんな彼女と私は美容室が同じ。

彼女に聞かれて、私が紹介したからだ。

その美容室の美容師さんの施術は自信を持って紹介できるしコスパもすごくよかったから。

彼女もそこが大変気に入ってくれてもう何年も通い続けている。

その美容師さんが、彼女のことをこんな風に褒めていた。

彼女はとってもおしゃれね、同じ服を着ているのを見たことがないわ

これを聞いて、美容師さんは私たちが何を着てるか見てるんだ・・・(~_~;)

ってっちょっと焦った。

だって私ほぼ同じ服だから。それしか持ってないしね。

こういう時に人はこういう思考になるのではないか?

美容師さんは、私のこと、同じ服ばかり着ている女だと、少しは見習っておしゃれしてみれば?って思ってるに違いないと。

だけど、実際は全く違う

美容師さんは、そんな人では決してない。

店内に入って不快に思ったことは一度もない。それは、彼女が一貫してお客様目線で応対しているからだ。

だから、この言葉は完全に私のお友達を褒めるためだけの一方向への言葉。それをゆがめて受け取る私がおかしいのです。

一瞬そんな歪んだ気持ちも芽生えたけれど、この時はすぐに冷静になれた。

私はおしゃれが苦手。だからおしゃれであること自体を服とともに捨てた女です。

ってね。

自分におしゃれができないってことを受け入れるのって、結構時間がかかるのよ。

でも過去に一回も、

その服おしゃれね~

なんて言われたこともありません。

言われたこともないくせにおしゃれな自分でありたいと思うのには相当無理があります。

だって、おしゃれの方法がわかってないんだから。

以前の私は、下記のサイクルにはまり切ってました。

  1. いつも着ていく服がないと嘆く
  2. 何かイベントがあればそれ用に服を買う
  3. 服屋でいろんなシュチュエーションをしてとりあえず買いをしてしまう
  4. 買い込んだ服が結局気に入らずまた服が無いと言い出す

こうして、箪笥にもクローゼットにもぎゅうぎゅうに服があるにもかかわらず、90%の服が着られずじまいになってた。

まったく服にとっては迷惑な話。

あれから、ミニマリストという生き方にであって、勉強して

洋服を処分していくうちに、

おしゃれでありたいという感情までも捨てることができた。

結局のところこの感情が、自分を生きにくくしてたということも実感した。

それからは、購入する服の基準がすっかり変わってしまった。

  1. 寒さ暑さを凌げること
  2. 動きやすいこと
  3. 肌触りがいいこと
  4. 家で洗濯できること
  5. 高額でないこと

この5ポイントで服選びをするようになってからは、行動力がすごく上がった。

とっても健康になった気がするのだ。

なんせ、軽くて動きやすいからパフォーマンスが上がる。肩も凝らない。

高額でないし家で洗濯できるから、汚れることも怖くない。もしも汚れが落ちなくてもまた購入しなおせる。

そして、自分がこれだけ気に入って着用している洋服に愛着と自信を持てるようになった。

これはとっても不思議な感情だ。

決しておしゃれではないのに、同じものを着てても全く他人の目が気にならなくなったのだ。

これは生き方に関わる大変大きな変化だった。

今まで、おしゃれでない自分を卑下して、他人と洋服を買いに行くなんて恐ろしくてできなかったけど、今はそんな機会があっても多分平気。

ただ、そんな機会はほぼないけどね。

おしゃれな友達とのランチ。

私は、普段着で登場。

いつも通り彼女は、しっくりおしゃれな装いで登場。

さすが~(*´▽`*)

私、こんなおしゃれさんと一緒にいることが、もうすでにおしゃれではないか!

今日も遊びに来てくださってありがとうございます。(*^▽^*)

コメント

すみっこ

50代主婦。
3人の子育て期を完了。第二ラウンドの鐘が鳴った。
老いるからだと戦いながらも楽しく生きてくための試行錯誤しています。
暮らしは地味に小さくを心掛け、全国を旅行しようと目論んでおります。

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