8月が旦那さんの誕生日で、定年が1年早まったという想定で、今年の9月から旦那さんのお小遣いを25万円にしています。
定年した想定で…っていうのは、本当だったらもっと早く辞めていたかもしれない危ない瞬間が何度もあったので、59歳まで繋げてくれた感謝を込めて、来年の8月までの1年間、お小遣いを25万円と決めてお渡しすることにしたんです。
残りの10万ちょいは、お家賃の支払いに消え、生活費は全部、預貯金からの取り崩し。
その事を、この半月忘れていた私。
今月は月初から里帰りしてたもんで
資産推移を更新できていませんでした。
昨晩時間ができたので、サクッと上書きして印刷完了。
ところが…
減ってて驚く
資産推移を見る表は、毎月1日に更新確認しています。
上部には、銀行から証券会社に至るまでお預けされている流動性のあるキャッシュを記録し、下部には、証券会社で運用中の投資信託や株を記録してます。
下部の資産運用は、当然毎月変動があって当然。
しかし、上部のキャッシュは違いますよね。
毎月ほぼ右肩上がりで推移してきてましました。今までは・・・
なのに、今月は…
( 。゚Д゚。)え?なんで???やばいよやばいよ~
( ≧∀≦)ノそりゃそうだ。
今月から収入がないことになってたんだよ。
家賃以外は、彫金から取り崩してるんだから
減ってて当たり前、増えてたらびっくりだ。
減ってて当たり前…なのよね。
味わったことのない虚しさ
下部に記録されている株や投資信託の金額が減っちゃうことは、まあまああったけど、売却しない限りであれば、実質失くなったことにはならないのです。
コロナみたいなことがあって暴落したとしても、売らなければ、コロナ前の価格以上に上昇してますし、売らない覚悟さえあれば、おそらく当分未来は明るいことでしょう。
でも、上部に記録されている現金が増えることは、もう見込めないのです。
年に2回配当金が入金されるとしても、微々たるものだから毎月の支出を上回る数字にはなりません。
いくら節約に勤しんでも、あるものを取り崩すことには変わりなし。
道理は、十分わかっているのにこの虚しさは、なんなんでしょうね。
この不安感は、どうしようもないのでしょうか。
以前から、我が家の100歳までのシュミレーションも作って、100歳まで生きてもお金が無くならないことを知っているにもかかわらずこんな気持ちになってしまうんですね。
年金をもらうまでの正念場5年の選択肢
現金を記録した資産表の上部は、この1年間減り続けます。
だがしかし、1年後の定年時には、微量ながらもまとまった退職金が振り込まれてきますし、数か月遅れで雇用保険も上限の満額振り込まれることでしょう。
そのお金で一瞬は、立て直すのですが、翌年の税金や健康保険料や国民年金料がドッと回収されて、その後5年間の生活費は、全て貯金したキャッシュからの持ち出しです。怖いくらいの右肩下がりを食らいます。
この5年が本当に正念場。
まだ若いんだから、働けばいいじゃない?
確かにその選択をしていた頃もありました。
今の会社に65歳までしがみつくことだって可能です。
でも、私たちはその選択はしませんでした。
時間は有限だということを知ったからです。
こんなふうに、元気に活動できる体でいられる時間を、仕事に拘束されることの代償は、お金です。
お金はあればあるだけいいに決まっているけれど、そこを求めていったらゴールはありません。
そしてそのために失った時間は、いくらお金を払っても取り戻すことはできません。
無収入になっても私たちは、時間を選びます。
そして、その期間も生活費は、しっかりケチります。ですが、旅行や帰省の予算はめいっぱい大きく組んでます。
- 自分たちが健康に行動できる時間は限られているから
- 親たちはいつか死んでしまうから
- 私たちもいつ死ぬかわからないから
この3つは、避けては通れないいつか来る出来事です。この事実を受け止めたら、もうそんなにのんびりしてはいられないことが見えてきました。
みんなもう結構な老人、明日どうなるかわからないじゃないですか。
もしも明日どうかなったって、やれることをしてきた自分なら、悲しみをいつまでも引きずることはないでしょうけれど、まだ大丈夫だろうと後回しにしてきて、結局何もできないまま親とのお別れが来てしまったとしたら、なんでもっと早く始めなかったんだろうという思いに一生苛まれてしまうのは明らかです。
そんな元に戻らないことを死ぬまで後悔するくらいならば、生きるためのお金が足りなくなっても、その時はその時、また少し働けばいいのです。
やれることをやってきた人は、常に前を向けます。結構なんだっていつからだって挑戦できるものなんですよね。私はそんな風に思います。
やっぱり100歳までの金表が背中を押してくれた
65歳まで今の会社にしがみついてそこそこの収入を得ることを蹴って、59歳での早期退職を選択できたのは、未来が少し見えているからです。
ドラえもんじゃあるまいし・・・
そうじゃなくて、100歳までの金表があることで、時間を選択するようにと、私たちの背中を押してくれたんですよ。
これがなかったら、怖くて怖くてとてもじゃないけどその決断はできませんでした。
入ってくるお金と、出ていくお金を100歳までシュミレーションした金表。
ここには予測しえない出来事も起こるだろうし、予測不能な出費もあるかもしれないです。ですが、完ぺきではなくても70%以上は描けているはず。あとの30%は、その時考えても遅くない。
その70%から、来年で定年しても100歳まで大丈夫ですと教えてくれているんです。
減ってく現金を資産運用でカバー
現金を残しているのは、命を守るためです。そして、資産運用するのは現金を枯渇させないためです。
すべてを現金だけで持っていたら、割り算引き算ばかりで、減っていくだけです。
ところが資産運用をしていれば、掛け算掛け算で時間をかけて最初はゆっくりある程度したら急に資産は増えていくんです。
丁度良かったよ~、現金が減ってきたところなのよ~って時に運用してたところから現金化していくと、ずーっと変わらない生活が確保できるんですよ。
65歳になれば、旦那さんの年金が始まります。
少しここからは気持ちが楽になりますが、まだまだ私たちは元気だろうから、いろいろな体験に挑戦していくことでしょう。そのためにお金を使うことは惜しまないつもりでいます。だから到底、年金の範囲には収まり切れない。
そこをカバーしてくれるのが資産運用なんですよね。
老後2000万円足りないのかどうかは、その人次第。
足りないのか足りるのかも分からない状態であるなら、まずはそこを知るように金表をお勧めします。
いくら足りないのかもわかってきます。
足りない場合の対処方法は、早ければ早いほどたくさんの方法が見つかるはずです。
時間がきっと味方してくれます。
時は金なりは、少し間違い。
時は金以上
金は後からなんとかなっても、失った時間は戻りませんからね。
減ってく貯金に動揺してしまった未熟な私ではありますが、この金表を信じて、微調整しながら信じた選択肢で生きていきたいと思います。
今日も遊びに来てくださってありがとうございます。
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