こんにちは~
月いちで単身赴任中の弟と交流している旦那さん。昨日はその日でした。
帰ってくるなり、なんかややこしいこと言うてたで~と話しだしました。
墓地を買う
弟のマンションは奈良にありまして、そこには弟の奥さん(Aさん)だけが住んでいます。
先日Aさんの実父が亡くなりました。
そろそろ四十九日が終わるころ、Aさんから墓地を買う計画を告げられたそうです。
弟が目で現地確認もしないうちに、もうちょっとで買いそうになってたようで・・・あわてて弟が待ったをかけたようです。
私はてっきり、墓地を買う資金はAさんの両親が出すのだと解釈してました。だって、Aさんのお父さんが入るんですもの。
しかし、弟が待ったをかけたとなるとそうではないようです。
Aさんは、自分の両親と、自分たちを同じお墓に入れる計画をしているってことですね。
Aさんには、実弟がいるのに・・・なぜ?
Aさんの両親は、ずーっと四国の人で四国で生活をしていました。
ところが急に娘の住む奈良へ移住して来れれたのです。
Aさんの傍が安心なのは十分理解できますが、生れてこの方四国しか知らない老夫婦が家を売って近所付き合いも捨てて、親せきとも離れて、知らない土地に移るのは非常にめずらしい例だと思っていました。
なかなか住み慣れたところを離れるのは勇気がいりますもんね。特に高齢者は。
これには、親戚同士でのもめ事があって、面倒になって引き払ってきたという理由があったと後からききました。なるほどね~
だから、もうあちらには全く未練がないというわけですか。
こちらで再出発・・・は、いいけれど
死んでからの再出発ってどうなのかな~
墓地は、先祖の魂が眠る魂のお家みたいなもんです。
それを守るのは、生きている子孫。
墓守が当然のことのように受け継がれてきた時代のようにお墓をつくっていいものなのか?
理解できない私の方が変なのかもしれませんが・・・
墓終い
私は、妹と二人姉妹で、両親は家を継ぐことを強制しませんでした。
気難しい父にしては、そこんとこ柔軟で助かりました。
ところが、父の母、私にとっての祖母は、自分で墓を建てることが夢でした。
今から50年ほど前、念願のお墓を建てて祖母は大満足でしたが、翌年その墓に自分が入ることになろうとは、まさか思っていなかったでしょう。
50年前は、墓を建てて長男が墓を守るのが当然という文化が当然と思う人がほとんどだったと思います。
だから、家を存続していくために、女の子しか生まれないうちは長女が養子婿を迎えるという考え方の人もたくさんいたように思います。
しかし、父はそうはせず、旧姓を継ぐ者はいなくなりました。
そして3年ほど前に、祖母の建てたお墓を潔く墓終いしたのです。
これは、私たち姉妹に対する愛情表現だったと、今になって深く感じます。
先祖を敬う行為は、存続すべきことです。ただ、それをお墓という、形ある動かせない物だと、そこに縛られることになります。
お墓があるからここに住むという、墓中心的な生き方は、今ではとても不自由です。
持ち家にさえ疑問を持つ私は、墓も同様に考えています。
墓の悩みを解消してくれた後に亡くなった父に今は、とても感謝しています。
家にも墓がある
実家の墓問題は、父が解決してくれたものの、嫁いだ先に墓がありました。
そこには、死産で生まれた旦那さんのお兄さんが入っておられるのですが、これから高齢の舅姑がここに入るつもりでおります。
この事は今、嫁の私から意見を言うのは時期尚早なので、沈黙していますが、墓を建てるのは心の中で反対です。
墓のある地は、大阪で、将来的に墓守を継続していくのは困難極まりないと想像できるからです。
私たちが、何とかできたとしても、子供たちは皆、関東に暮らしているし、今後もそうなることでしょう。
墓が存在するということは、責任を譲渡するという事なのです。
だって、放っとけないでしょお墓って・・・存在感大きすぎますよね。
何か災いが起きたときに、墓、つまりは先祖を大事にしていないからだと、原因がそこに行っちゃいそうだしね。
だけど・・・今はただ、正観しておきます。嫁なので。(^▽^;)
今日も遊びに来てくださってありがとうございます。(*^▽^*)
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