嫌なら断ち切ればいい、死にたいほど苦しむことなんかない、潔く断ち切れば、すぐに楽になれる。
他人との関係ならば、これが正論で可能な対処法。
人間の悩みの大半は、人間関係にありと言いますから、
パワハラ上司に悩まれてるサラリーマンの方
子供が病気だからと休むたびに退職を迫ってくるお局に悩むワーママの方
マウントを取りあう社宅住まいの主婦の方
子供の頭の良さを競うママ友の渦中にいらっしゃるママさん
などなど、一見断ち切りにくそうな関係ではありますが、
たとえ途中退場はしづらくとも、長い目で見て期間限定ではないでしょうか。
今朝、友達からのラインで、知り合いの息子さんが性犯罪で逮捕されたという記事を送ってきました。
誰?
そう問返すと、以前スポーツの集いで、結構訊かせていたちょっと苦手系の方の息子さん。
そうと知って浮かんできた言葉は、
これからが修行ですね・・・どうか、しぶとく生きて乗り越えて下さい
でした。
私は、尼か・・・
どんな形で課題が降ってくるのだか
その方の息子さんは、順調に大学を卒業されて、順調に教員採用試験に合格されて、順調に教員として日々学校勤めをされているという、たぶん周りから羨まれているであろう人生の滑りだしで始まった社会人の息子さん。
親の立場から察するに、
もう充分仕上がった。最高の出来栄え。子育て完了いたしました。
っていう心境だったでしょう。
次は、いい結婚をして、なるべく早く孫の顔を見せてねと、欲求も希望も膨らんでいたかもしれません。
世間より少しいいとこにいる息子を誇らしく思う親心、すごくよくわかるな。
そんな日々が永遠に続くって思いたいじゃないですか、誰だって。
多少は心配することもあるだろうけど、まあ乗り越えられる範囲で・・・って思ってる。
ところが、今回のこれは、想定をはるかにはるかに超えた異次元の出来事みたいで、きっと心の準備などできなかったことでしょう。
私も何度も心臓が止まりそうになる出来事に遭遇してきました。
まあ、その時はいっそそのまま心臓が止まればよかったに~なんて考えも浮かびましたよね。
でも、今は生きててホントによかったに~って思えるようになってます。
自分に降りかかってくる出来事は、全て神様の課題と受け止められるようになりましたが、その課題は、時に厳しすぎると思わせるような形でやってきます。
私も
もうダメもう限界…
何度もこう思うことがありました。
原因は自分のなか
降りかかる災難。
何で私ばっかり?
私何も悪いことしてなのに…
こんな言葉が頭の中でグールクル。
しばらくは、回ってて下さい。
そのうち気がつくのでそれまで回ってて下さい。
‘`,、(‘∀`) ‘`,、
グールクルしてる間は、
ズーゥと何でなんで?何で?ばっかりで、何も他には考えられなくなってます。
私の場合、長男の不登校から始まりました。
そして、その原因は
長男にあり!
こう思って疑わなかった私。
いろいろアドバイスしたり、名言とか投げ掛けたり、好物を食べさせたりと必死でしたが、いずれも当然響いてません。
だって、根本がずれてますから。
それをズバリ教えてくださったのは、心療内科の先生でした。
もちろん、凝り固まった思考がすぐにほぐれて、素直にその意見を受け入れられた訳ではないです。
ゆっくりゆっくり雨水が岩に染み入るみたいな速度だったんじゃないでしょうか。
それくらい頑固だったってことですね。
長男が、ようやく幸せに日常を送れるようになるまでに10年以上かかりましたので。
他人基準
幸せっていう形がどんなものなのか…
私ずーっと勘違いしてました。
常に基準は、他人でした。
他人さんと同じか、よろしければ少し上いっときたいかなっていうのが、私の幸せ。
だから、目線は他所ばっかり見てます。
他所に気を取られてるから、家で起こってるボヤには全然気がつけなくて、ついに火災に発展してくという段取り。
あんたは、むしろボヤにガソリンぶっかけてたんだよ!火事にしたのはあんただよ!
そう、先生に言われたわけです。
そこから、長い時間をかけて、行きつ戻りつしながら、思考の矯正をしていただいてました。
私の思考は、ガチガチに固まってて、生温い手段では、どうしようもなかったようです。
私の思考矯正のために我が子の貴重な時間を犠牲にしてしまったことは、本当にもうしわけなかったと思います。これは、死ぬまで懺悔です。
他所は他所内は内
小さい頃、父によく
他所は他所内は内
って言われてましたが、この言葉の意味がこんなに深いとは、知りませんでした。
これは、幸せの指標になる言葉でした。
幸せは、他所を探しても絶対に見つからない。
幸せは、近くにある。
見つからないのは、自分の目が見えていないから。
幸せは、ほんに、小さいものだったりするけど、それに気づける目を持つことができれば、毎日が幸せだらけに塗り替えられる。
その目を持てるか持てないか。そこが大事。
その目を育てるために、神様は、課題をくださいます。
ヒントも地図も参考書もない課題です。
もがき苦しみながら、解いていくといつの間にか身近に幸せを見つけ出す目と、新しい武器が増えてたりします。
そのあと、武器で戦えるような課題であれば、スラスラと解けるようになります。
こうやって、だんだんと人は強くなる。
だけど神様はそんなにあまくないだろうから、もっともっと最強な課題を与えてくるかもしれないです。
それが、怖い。
今は、すごーく幸せですが、
うちにそのよーな難題が来たら、私は課題を解ききれるかしら。
本当は、いけないことですが、瞬時に思っちゃいました。
内でなくてよかった…私にはとても対処できない…
子供は、大人になっても、やっぱり子供だから、ヤーメたとは言えません。
どうか、しぶとく生きて乗り越えて下さい。
今日も遊びに来てくださってありがとうございます。(⌒‐⌒)
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