この前、子供部屋おじさんと、言われている人たちがいることを知りました。
30代後半以上で独身、住まいは実家で、小さいころから与えられた自分の部屋にずーっと住み続けている男性のことを指しています。
部屋には小学校のころから使っている勉強机が今もなおそのままだったり、おもちゃやゲームがそのままだったり、まさに昭和の子供部屋そのもの。
私が見た動画の一人目は、少し引きこもりがちな年収100万円ほどの40代男性。こう言っては何ですが、想像通りな人物像でした。
この先はこのままなのか?親は年金暮らし?生活費も入れていないようだ。
もしも自分ちの身近で起きていることならとても不安に違いないと感じる事例。
しかし、もう一件は、高学歴のエリートでありながら、実家で親と住み続ける40代男性。
彼は年収1000万円、毎月家にも10万円を入れている。
こんな両極端な彼らだけれど、実家の子供部屋暮らしということでくくられている。
こんな生き方は、いけないのでしょうか?
このような人たちを子供部屋おじさんと揶揄するのは、少し違和感を感じるのです。
常識と言われてきたこと
子供は、何歳から大人となるのでしょう。
一応二十歳(はたち)が大人とされてはいるけれど・・・
そしたら、大人ってどんな人を言うのか?
なんだかそこからわからないのです。
- 自分で稼いで自分で食べていくこと
- 結婚すること
- 子供を産むこと
- 家を持つこと
昭和時代に生きてきた私は、こうなることが大人なんじゃないか・・・?と刷り込まれてきました。
そして、大方その通りになっていて、普通にわが子もそうなっていくであろうと思っていました。
でも、そうじゃない人がたくさん出現してきています。
昔の常識を持ってさばいたら、とんでもない生き方かもしれないけれど、そうしていかないと生きられない現実がそこにはあったりします。
昔の常識で生きていける世の中は、少しづつ終わっていってるってことですよね。
こういう変化は、もうずーっと昔から行われてきたことで珍しいことでも何でもないんだけど、ただちょっと忙しくあわただしく時が巡っていく今日この頃を感じてしまうのです。
人の目に見えるくらいの速さで、変わっていくからついていけてないことだらけです。
昭和の人たちは少し息切れ気味です。
それでも生きるから
変化は体にも起こっていて、昔よりもはるかに長生きできる時代になりました。
ひと昔前なら、時代が変化する前に人は人生を終えていたんですよ。
それが、何度も時代が変わる中、人はまだ生きていかなくちゃならないわけです。
昭和に叩き込まれた常識を、平成風に変化させる努力をしている間に、すでに時代は令和になっています。
もうわけがわかんないです( ;∀;)
- 夫婦共働きが当たり前、専業主婦がいなくなる
- 終身雇用がなくなっていく
- 転職は当たり前
- 年金では生活できない
- 老後は子供に頼れない
- 結婚しない
- 子供を持たない
- コミュニケーションは、電話からラインへ
- 紙がデータ化、紙の明細書は実費
- パソコンやスマホを持たないと生きにくい
- などなど
だけど、私はまだまだ今まできた時間くらいを生きなきゃならんので、
嫌じゃ嫌じゃなんて言ってる時間はないのです。
そんな駄々をこねたところで周りは思うようにはならないからね。
駄々をこねる時間が無駄せっせ。
自分軸で幸せならいい
さっきの、子供部屋おじさんの話に戻りますが、うちの次男は、下手するとそんなおじさんになる予備軍ではなかろうかって・・・一瞬思ったんですよね。
でも、この生き方って、悪いんだろうか?
その家族は、二つともそれなりに幸せに生きてらっしゃったんですよね。
それなら全然ありなんじゃないのでは?
生きる形は人それぞれだし、他人に見せるものではないのです。
だけど、いい形を作り上げて他人に見せたい自分が実際に過去にはいましたよ。
そんな自分からすれば、子供部屋おじさんなんて、
- 気持ち悪い
- 親不孝
- 親の教育がなってない
- 不幸な家族
こんな狭い狭い凝り固まった考え方しかできなかったですね。
そして、実際に子供をうつ病にしてしまうことになるわけです。
はたからどう見られるかを気にしすぎたしわ寄せは、家族を不幸に陥れてしまうかもしれないってことを身をもって体験した私です。
まあここまで10年以上かけてもまだまだガチガチしたところもあります。なかなか思考を変えるのって大変です。
はたからはそんなに見た目は変わっていないだろうけど、自分から見る世間はずいぶん変わりました。
そんな目を持ってからは、ずいぶんと生きるのが楽になってきました。
次男との暮らし
子供部屋おじさんの話を次男としました。
もしかして、このままの生活が続いたら、子供部屋おじさんになるんちゃうか?
私たちは、社会人の子供から生活費を取ります。
それは、毎年1万円づつ増えていく仕組みで、一緒にいればいるほど増えていきます。
次男は、一度一人暮らしを経験しているだけに、東京での一人暮らしには金がかかると理解しています。
そこんところ金額の折り合いはついてると思います。
何年後に交渉してくるかはわかりませんが、交渉してくる時が家を出る時だと思ってました。
だけど、お互いに共存するメリットがあるなら、一緒に暮らすことは、いけないことではないんじゃないかと最近思うんですよね。
私たちもこれから年老いたとき以下の不安があります。
- 賃貸が借りつらくなる
- 保険料、介護保険料がどんどん高くなる
- 高齢化社会で、サポートの手が足りなくなる
- 適切な施設になかなか入れなくなる
もし、次男が結婚の機会がなくて一人でいたとしたら、彼は彼で、いろんな不安を抱えることになりますが、生活費がお互いに半分になることで、投資にお金が回せるとしたら・・・。
お金は、幸せになるツールですから、増やしておけば今後の助けになってくれるのは間違いありません。
お互いに、不満が募らない程度に生活費の折半をしながら支出を抑えていけるなら、シェアハウスという考え方で共存するなら、こんな生活の体系もありだと思うんです。
それを、次男に言うとまんざらでもない様子でした。
彼は、頭に脂漏性湿疹を抱えていて、もうたぶん一生抱える病気と覚悟しています。
たかが湿疹と思われるかもしれないですが、それはとても過酷な状況です。
若い男の子が、ずっと痒くて、夜も眠れなくて、仕事に集中できない。好きな髪形をあきらめて、丸坊主にしていることで、昼間のかゆみとフケを緩和できるようになる。
そんな制限が一生続くかもしれないと思っただけで、絶望してしまう人もいると思います。
でも、彼はちゃんと働いて、稼いで、家にお金を入れて、頼めば家事もやります。
自分の今の状況に絶望することなく自暴自棄になることもなく淡々と前を向いている次男を見ていると、勇気づけられるんですよね。
いつでも離れられること
近所や親せきから見れば、いつまでも家に依存させる変な親子に見えたとしても、自分たちが幸せなら、他人がどういおうと全く関係ない。
ただそこに、離れたければいつでも離れられる気持ちがあるなら、それでいいのです。
どちらかが離れたら生きていけなくならない距離感を保つことを心がければ、生きづらいこの時代、どんな形で生きるかの選択肢はいろいろで大丈夫だと思います。
今日も遊びに来てくださりありがとうございます。
そろそろ私たちにも、コロナワクチンの順番が回ってきたようです。
着々と前に進んでいますね。接種権を手にして幸せな気持ちになりました。
ここまで生きて居られて感謝です。
準備をしてくださった方々に心よりありがとうございます。
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