10年前の記憶

子育て親育て

今日で10年。

東北大震災からの10年。

東京に住んでいながらも地震の怖さを知った10年前。

現地で体験された方々、大切な人を亡くされた方々には、重たい10年だし、これからもそうかもしれない。

我が家の10年前

私の10年前を振り返ってみる。

娘は、小学校卒業を迎え、その日は謝恩会で懸命に練習を重ねた劇を披露している真っ最中だった。

次男も中学卒業式の練習中。

そして、長男はこころの病でおうちにいた。

そうだ・・・

あの頃、日本も大変だったけど、我が家も気持ちは谷底状態だったな。

長男は、2010年に入学した高校に行けなくなってしまい、

人格も少し変わってしまい、

思い切って心療内科を訪ねたら、不安障害の診断を頂いて闘病にはいることになった。

治療を受け、お薬を飲んだからと言ってすぐに元に戻る簡単な状態ではなかった。

次第に出席日数が足りないと、担任の先生から厳しい催促があり、

何度も先生には理解を得ようと話し合いも試みたけど、あまり届かず、

親も子もストレスがピークになり、一旦退学する決断をした。

退学届けは、私が雨の中、原付バイクに乗って出しに行った。

未だにあの冷たい雨の記憶は消えない。

高校生らしき男の子に出会うと、胸が締め付けられ、

こんないい時間を、息子は体験できないまま大きくなってしまうんだ・・・

髪を金髪にしていたって、どんなにだらしない制服の着方をしていたって、

ニコニコ楽しそうにしてればいいんだって思えてきて、

もっと早くこの気持ちになれていたら、息子をここまで追い込むことはなかったんじゃないか

毎日、後悔と懺悔の日々。

未来は真っ暗で何も見えなかった。

そんなときに、あの地震は起こった。

揺れによる被害だけじゃない、

ああ生きててよかったねって安心したところを襲った津波。

一瞬にして消えた町と人。

こんな事が現実に起こるって?

そんな現実離れした世界がテレビから流れる日々。

うちを流されて、途方に暮れる人。

大事な人を奪われて生きる気力を無くしてしまう人。

放射能に汚染されて住めなくなった町。

報道を見る度に、自分と置き換えてみた。

私は、どうなんだ。

私には、生きてる家族がいるじゃないか。

息子は、こんな状態でも生きてるじゃないか。

生きてるってことは、終わりじゃない。

やり直せる。

何回もやり直せる。

諦めてどうする?

そんな声となって私に降りかかる。

今は、不安しかないけど、考えてるだけじゃ何も始まらない。

生きてる時間を大切にしなくちゃ。

息子と相談して、

家から自転車で通えるフリースクールに一年生として入学することを決め、

4月から再スタートをきった。

4年後の再発

フリースクールには、問題を抱えた生徒さんばかり。

そりゃそうだ、何にもなかったら普通高校に行ってるもんね。

それがその時の私には癒しだった。

どのお母さんも悩みを抱えているのは明らかだったから、

変な安心があってね。

やっぱりまだまだ修行が足りなかったようだ。

常に人と比べて物事判断してた。

息子は、まだまだ、ましだと思えて安心してたのよ。

だから、しっかりしっぺ返しがきたんです。

フリースクールを卒業して、大学にも入学できて、

さあ!リベンジ!

なんていきり立って、

また息子を追い込んでたみたい。

大学2年生で、不安障害が再発。

先生がおっしゃるに、今回はもっと重傷で良くなるかどうかわからない・・・覚悟してください。

死の宣告?と思わせるような言葉に愕然とした。

息子は、自傷行為も始まって、ベットに寝たきりになった。

親が変わるといい方向へ

そこから1年も同じ状態の息子に、旦那さんはイライラして

そんな気持ちを察してまた自傷行為に走る・・・悪循環。

旦那さんの気持ちは十分わかる。

でも、息子はもっとつらい。

だから、一緒に同じ方向を向けるように気持ちをつなげなければ・・・

そんな思いで、何度も何度も夫婦で話し合い、時にはけんかもした。

停滞とも思われる日々だったけど、逃げないで向き合ったおかげで、

息子は、次第に自分で動き出すようになった。

大学も退学し、何もなくなった彼は、アルバイトから始める。

アルバイトも自分で探し、面接も受け、採用をもらって、まじめに休まず通った。

最初は、ひとりでやる短時間の仕事。

それができると、今度は少し人とかかわる昼間の仕事へ。

そこではお友達も作った。

そして、今度は正社員を目指しハローワークへ。

ドンドン自分で前に進んでいった。

そんな息子の姿を今度はひたすら見守ろうと、2人で決めた。

相談に来たら手を貸そうそれまでは、後ろから見守ろう。

2か月で挫折

正社員にはあっさりなれて、

それは劣悪な環境での夜勤もある仕事だったから、

ネコでも借りたいほど人がいなかったみたい。

採用されたことに高揚していた息子は、意欲満々だったけど、

夜勤が頻繁で、それをフォローする休みもなくて、

すすや油で酷く汚れた制服の洗濯も会社ではなく自分でしなくてはいけない。

人でがないため、新人扱いもそこそこに厳しい仕事が割り振られていたようだ。

次第に睡眠不足が溜り、通勤時、階段から転落して、労災認定を受けた。

まもなく退職を余儀なくされた。

幸いケガは大したことなかったけど、

見えない傷が気になった。

また、息子は5か月ほど半分引きこもり生活に戻った。

内心、落胆していたけど、何も言わず見守りを続けた。

動き出す

彼は、急に動き出した。

ベットで、スマホを見ながらこれから自分はどうしようかと考えていたみたい。

介護職なら自分でも受け入れてもらえるかもしれない。

そう考えて、国が無料で行っている資格制度を利用して介護の資格を取った。

そして、直ぐに自宅から自転車で通える介護施設に採用になった。

夜勤の仕事で痛い目に会ったので、デイサービスを選んでいた。

石の上にも3年。

もちろん平たんではなかったし、何度もやめそうな局面はあったけど、

今もそこで仕事をしている。

結婚そして親になる

介護職について3年目に、運命を変える出会いが訪れた。

息子は、同じ職場の彼女と、結婚し、もうすぐパパになる。

こんな展開は、想定外だった。

いい裏切りだった。

考えちゃいけないって思ってたから、本当にうれしかった。

彼女にはとても感謝してる。

やっぱり生きていれば何とかなる。

生きていなきゃいけないんだ。

この出来事で、私たちはすごい学びがあった。

これから生きていくに必要な学び。

しあわせは、何をもってしあわせとするかっていう定義。

そんな宝物をこの10年は、私たちに与えてくれた。

震災に会った人たちは、どうなんだろう。

しあわせものかたちは、ひとつじゃない。

それぞれのかたちで、ひとりでも多くの方がしあわせでありますように・・・

お祈りいたします。

コメント

すみっこ

50代主婦。
3人の子育て期を完了。第二ラウンドの鐘が鳴った。
老いるからだと戦いながらも楽しく生きてくための試行錯誤しています。
暮らしは地味に小さくを心掛け、全国を旅行しようと目論んでおります。

すみっこをフォローする
タイトルとURLをコピーしました