昔の私、ものすごく怒りん坊でした。怒りん坊なんて可愛く表現してしまったけど、ハッキリ言って狂暴ママでしたね。
思い通りにしたい欲求
怒る原因は、ズバリ!ワガママ。
大人のクセに小学生かよって思いますが、イヤイヤもっと質が悪いです。
子供のワガママは、本能のままに涌き出てくる感情や行動によって生まれてます。
アカン事とイケル事の判断がまだ曖昧だったり、アカンとわかってても甘えたい気持ちからそうなることがほとんどまだまだ可愛い。
そして多くはそれを、抑えてくれる外部者によって、反れたら修正をしてもらえます。
大人の場合どうでしょう?
酸いも甘いもわかってる大人には、自分というものが育ってて、それが良いものか悪いものかは人それぞれだから誰も判定できない、口出しもできない。
だから、誰も矯正してはくれない。
ああ
悪い方に依ってるな~って思っても、見てみぬふりをされるのが、普通。
触らぬ神に祟りなしってやつです。
たとえ親切に指摘してくれたとしても、恐らく直ぐには受け入れないですよ大人は。
むしろ指摘してきた人を恨むかもしれない。
そう言う大人の方が、断然多いでしょう。
だから大人のワガママは質が悪いのです。
自分の中でこうでありたいと決まってて、身近な環境もそういう風にしておきたいと願う。
そして、それが正しいと思ってる。
だから、思いどおりに動かない周りにイライラするようになるのです。
理想があって、そこに近づくように、私はこんなに頑張ってるのに~(~_~;)
なんでそうなの?
なんでこうしないの?
なんでわからないの?
なんで、なんで、なんで…
そんな心の声が、パンパンになって飛び出た声は、ひどく荒々しくて、自分もギョットする。
そしてもちろん、相手もビビってる。
あれ?これは、効くかも。
そんな余計な発見をしたら最後、自分がイライラしたときは、この手段を使うようになります。
声を荒げる、ビビらす、服従させる。
他者のせいにしてる限り繰り返す
世界が思い通りにならないのは、全て他者のせいだという思考のままだと、
一生その理想は、理想のままで終わります。
他者のせいにしてる限り、声を荒げて他人を脅し続けるんでしょ。
そんなんじゃもう誰も寄ってきてくれません。みんな離れていくばかり。
それがわからなくなってしまっている自分を矯正してくれる親切な人も
区別できなくてないがしろにしてきた証拠。
そうして、ぽつりとひとり孤独になって、高い高い厚い厚い壁にぶち当たったときが
自分矯正のチャンスなのかもしれないです。
私の転機は長男の鬱病でした。
その時思い知ったのは、私の愛情は、全て自分のためだけのものだったということ。
あなたのためよ。と言いながら、自分のために子供の人生を操作しようとした。
もっと質が悪いのが、それが子供のためだと本気で思い込んでることなのです。
子供だって自我が芽生えれば、少しづつお母さんの矛盾に気が付きますが、
お母さんの言ってることだから、たぶん正しいんだろう…だけど、違和感。
みたいなことが繰り返されるうちに、何が正しくて何を信じていいのか混乱してきてどうしたらいいのかわからなくなっていってしまうんですよね。
他人なら、あっという間に逃げていくところですが、一番近い身内なゆえに逃げられない。
私は、そんな心の描写すら気が付けないワガママぶりでした。
長男が鬱になったのも、この子の性格のせいだとその時は、本気で思ってました。
そして、心療内科の先生に、じわじわと、私の内面をあぶりだされて、
実は、私が根源だったことに初めて気づかされたのです。
10年かかりました
その時長男16歳高校1年生。
不安障害という病名をいただいたときは、頭が真っ白になって
積み上げてきた積木が、崩れていく絵図が浮かびました。
私が今まで積み上げてきたものって何だったんだろう・・・
もうこの先には何もない、何もかもあきらめなくてはいけない・・・
そんなことしか考えられなかった私・・・やっぱり質の悪いワガママです。
そんなワガママ母も自分矯正に取り組み始めました。
というか、取り組まざる負えない状況に陥るんです。
私が矯正しない限り、長男の状態は一向によくならなかったからです。
少し上向きになれば、すぐに気を抜きたくなる私、そんな心の隙間を見逃してはくれません。
すぐまた状態はまずくなる。
そんな繰り返しを10年以上。
私のワガママっぷりは、相当なものだったのでしょう。こんなに長い時間がかかってしまいました。
矯正するために長男の10年を使ってしまったことを償えるのかどうか・・・一生の課題です。
幸せの形が見えた
どんな人生が幸せなのかって永遠のテーマです。
理想と現実が違うことの方が多いですね。
今の私は、自信をもって幸せです。
それは、過去に思い描いていたものとは全然違いますが、まったく問題なく幸せ。
その理由はたぶん
感謝することが増えたからかもしれません。
人とのかかわりには、物語が必ずついてきますが、それを読みとるのは自分の裁量です。
同じ状況なのに、人によって読み取り方が違います。
例えば、スーパーのレジで並んでたとします。
前のお客さんは、小銭を一生懸命出そうと必死なあまり会計に時間がかかってしまってます。
(~_~;)もう!!あらかじめ小銭手に持っとけよ~、時間使っといて結局足りないなら札で払えって!
こんな読み取り方をしていると、イライラするしかないって感じ。
前の人時間かかりそうねえ。買い忘れなかったかな~?( ;´Д`)そういえば、あの商品券使えたんじゃなかったっけ?やっぱり使えるわ~よかった~使い忘れるところだったよ~助かった。ヽ(^o^)丿
こんな読み取り方をした場合、もたつくお客さんにも感謝できたりします。
気分は、断然後者の読み取り方の方がいいに決まってますよね。
イライラしても何も返ってこないけど、感謝すればいい気分が貯金みたいに貯まっていくんです。
目に見えないけど貯まっていくいい気分貯金は、自分をどんどん次の世界へ連れて行ってくれます。
その世界は、怒りのない世界。
物語の読み取り方を習得したら、この世界には誰だって行けるのです。
私は、今も修行中ですが、この仕組みが理解できるようになりました。
だから、最近は声を荒げることが全くなくなりました。
もっともっと修行して、怒りのない世界に近づきたいです。
今日も遊びに来てくださってありがとうございます。
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