こんにちは~
6月の末に身内のお葬式を執り行った方(Nさん)と昨日仕事で会いました。
亡くなったのは、ご夫婦のお母さま方。二人とも90歳以上の高齢でした。
その三日後にまた
いくら高齢になったとしても、死は案外遠いところに置いているもんです。
昔は、死ぬことに関係する事柄を口にするのは何となくタブーとされていました。
しかし、死人に口なし。
死んだ人に聞きたかったことは山ほどあるものです。
- お葬式に誰を呼ぶのか
- どこにお葬式を頼むのか
- どのくらいの予算で執り行うのか
- お葬式の際、お香典はどう取り扱うのか
などなど・・・
Nさんのお母さんは92歳。ひとりで一軒屋に住んでいました。
近くにはNさんのお兄さんが住んでいて毎日様子を見に行っています。ヘルパーさんにも毎日来てもらって、身の回りのお世話をお願いしていたそうです。
Nさんの旦那さんのお義母さんは93歳。こちらも一軒家に一人暮らしで毎日ヘルパーさんが訪問してました。
Nさんも仕事が休みの日は、どちらの家にも足を運んで様子を見ていました。
最初に具合が悪くなったのは、Nさんのお母さんの方でした。
すでに痴ほう症もあり、寝たきりの状態でした。体は衰弱して、いつ何が起こってもおかしくありませんでした。
それゆえに、Nさんも覚悟ができていたと言います。
血流が悪くなり、足先が黒くなり始めていました。訪問看護の先生に、もういくばくもないと告げられてから2日目に亡くなったそうです。
葬儀はNさんのお兄さんが中心となって行われましたので、そんなにNさんが決断する場面はなかったようです。
ところが、Nさんのお母さんのお葬式も終わらぬうちに、旦那さんのお義母さんの訃報が飛び込んできたのです。
発見者は毎日来てくださるヘルパーさんだったそうです。
発見された時は、トイレの前で倒れていて、下になった腕がすでにうっ血した状態だったそうです。夜中にトイレに立ったときに気を失って倒れたようでした。
しかしながら、自分でトイレにも行けてたのでまだ元気でいらっしゃるだろうと思っていたそうです。
それがなんと仲良く連れ立ちようにして天国に召されていかれました。
大変なのはNさんです。
Nさんの旦那さんは単身赴任中ですから、亡くなってから旦那さんが到着するまでの一連の決断はひとりで行わなければいけなくなりました。
自宅で一人亡くなった場合、警察が現場検証を行うのはお決まりです。
この場合も警察が入り現場検証、そして遺体は警察の遺体安置所に運ばれていきます。
Nさんは、3回も警察官から同じ質問をされてうんざりしたと言っていました。
とにかく遺体安置所から早く出してあげたいと頼むと、診断書の提出を求められたそうです。
まもなく訪問看護の先生が到着されて診断書を書いてもらい、その日のうちに遺体安置所を出れることになりました。
ここで疑問だったのが、葬儀会社は決めていたのか?ということ。
これは、生前にお義母さんが決めていて、Nさん夫婦に伝えていたそうです。
お義母さんのファインプレーにより、Nさんは戸惑うことなく、お義母さんの希望する葬儀会社に連絡して速やかにお義母さんの亡骸を運んでもらえたそうです。
残された者への思いやり
自分が死んだあとの事は、子供たちに任せるから…
と、言う人が多いけれど、時に外野があれやこれやと口出ししてくる場合があります。
口出ししてくる者たちは、良かれと思う故なのでしょうが、それは大方余計なお世話であることが多い。
でも、正直に言い返すこともできず翻弄されるものです。
こんなとき、生前本人が決めていたことを記録しておけば、それを台本とし執り行うことができます。
身内は死者の希望を叶えているという自信が持てるし、周りの者も口出す理由が見当たらなくなります。
財産以上に、この記録は、価値のあるものかもしれません。
Nさんの事例は非常に数は少ないでしょうが、0%ではありません。
もっと希な事象が起こる可能性だってあります。
そんなときに自分は、冷静に淡々と進めて決断していけるのか…
多分私には不可能です。これは、自信を持って言えます。
多分子供たちもそうでしょう。
だったら、自分はどうすべきなのか…
昔は、タブーとされていた死の話。
今はどうでしょう?
高齢化が進み人間は、ソコソコ死ぬことが覚悟できるところまで生きる時代になりました。
もうソロソロこのタブー視は、変化させる時でしょう。
しかしまだ、私もエンディングノートは、作っていません。
こういうときがチャンスなんでしょうね。
気持ちが変わらない内に早く作らねば…
今日も遊びに来てくださってありがとうございます(“⌒∇⌒”)
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